歳の市(納めの観音) 羽子板市 その由来
昔は物品の売買交換のために各所に定期的な市が立ちましたが、
江戸では年三度の大市の中でも、とりわけ十二月 師走の市が最も栄え、これを歳の市と称しました。
文化十一年(1814年)の塵塚談には、
「浅草観音の市、諸人正月の飾り物、吉凶を祝い、此の市にて求むる事なり、外の市になし」と
記され、江戸中期頃までは正月用の歳の市といえば浅草に限られていました。
一方、江戸時代の浅草寺の縁日は毎月 十八日。師走の十七・十八日の両日は一年の最後の縁日
(歳末市)として一年の無事に感謝し、明くる年の幸せを願う納めの観音詣での日でもあり、
なおいっそうの賑わいとなりました。
それは歌川豊国の錦絵にも描かれるように江戸の町の重要な年中行事となっておりました。
明治以後は、正月用品の仕度も通常の店屋で用を足すようになり、
歳の市の面影は次第に薄れ、現在では江戸末期から流行り出した羽子板市に重点が移り、
その盛況は今に受け継がれています。
羽根つきは古くは室町時代(1336-1573)に始まった遊びで、500年程前の永享年間には、
初春を寿ぐ遊びとして、宮中で男女に分かれて競技をしている記録が残されています。
松竹梅や花鳥の図を描いておりましたが、江戸時代に入ると押絵細工を施し、浮世絵画家も
加勢して、図柄や色彩も一段と華麗、豪華となりました。
更に江戸末期、当時流行りの歌舞伎役者の似顔絵や装束を貼り付けるようになってからは、
女性たちの爆発的な人気を集め、殊にその年の当り狂言の人気役者の羽子板がずらりと
並ぶ浅草観音の羽子板市には、江戸中の女性がこぞって押し寄せたと伝わっています。
又、羽根は生まれた子が邪気をはねのけ、すこやかに育つ事に通じますので、
昔から厄除けとして女児の出産には必ず羽子板を贈る習わしがありました。
子供の成長を願って羽子板を贈り、羽根つきをして新春を寿ぐ、まことに日本的な美しい
風情と申せましょう。
現在の「浅草羽子板市」は「納めの観音ご縁日」も含め、毎年、曜日に関わらず12月の
17日、18日、19日の3日間、浅草寺境内で開催しています。 (9:00~21:00 予定)
数十軒の羽子板の露店が軒を連ね、羽子板を買った人に贈る縁起の良い三本締めの声が
響き渡る人気のお祭りです。
◆参考引用:浅草観光連盟 「お酉様と羽子板市」