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浅草と共に歩んで半世紀 ~台東館創業当時の様子~

2020.12.24

創業当時の体制… 昭和の風景


創業当時の職員は、庶務係5名、業務係7名、館長1名の計13名の体制でした。現在は、施設管理グループが加わり、14名の体制で運営しております。


現在の職員の机上にはPCが置かれ、IT機器がところ狭しと並んでおり、ご利用者専用のビジネスコーナー(有料のPC、複合機設置)も設けています。下の写真は、当時の3階事務室の様子です。PCの代わりに大きな黒板にチョークで書き出して情報共有を図っていたようです。また各所に観葉植物が置かれ、水槽で金魚を飼育して、癒しの空間をつくっていた様子もうかがえます。昭和のあの頃は、自宅でも玄関やリビングで金魚や熱帯魚を飼う家庭が多かったことが思い出されます。


下の写真は1971年(S46)頃の台東館職員の集合写真(職員が撮影したものですが顔にボカシをいれて掲載しています)です。

服装や髪型、そして背景の植栽からも昭和を感じることができます。


台東館の屋上は、1970年(S45)10月20日に日本庭園として造成後、開放し、来場者や浅草地域の皆様の憩いの場として親しまれていたようです。(現在は、安全保安上、開放しておりません)



また下の写真は松屋デパート浅草店(1931年(S6)竣工)屋上から北の方向を撮影した写真です。台東館の屋上から植栽の頭が出ているのがわかります。当時は遮る高い建物も無かったため、台東館の南側の壁に貼り付けられた箱文字看板を設置していました。


手前には、1930年(S5)に完成し、東京大空襲の戦火を免れた3階建ての浅草小学校(現在の校舎は1984年(S59)建替え)が見えます。台東館の後方(北側)には、今では少なくなった煙突や工場から煙が上がっていて高度成長の真っただ中にあった様子を今に伝えています。

次回は、広告看板にスポットを当て、時代の移り変わりをご覧いただこうと思います。掲載は1月14日(木)を予定しています。


このコラムをご覧いただいた皆様、今年は大変な年でしたがお世話になり、ありがとうございました。

新型コロナが一日も早く終息するよう祈念するとともに、ぜひご自愛いただき、良いお年をお迎えください。

来年も何卒よろしくお願い申し上げます。


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