日照権侵害等損害賠償請求…太陽を奪われて
グランドオープンして3か月が経過し、“順調にスタートできた!” かに見えた台東館でしたが、下記のような悲しい記事が、1970年(S45)2月8日の朝日新聞東京版に躍りました。「昨年秋、年老いた父母が、相ついで死んだが、せめて一日だけでも干して、ホカホカになった布団に寝かせてあげたかった」 台東館に太陽を奪われた娘さんの嘆きに、世間は驚きました。
この記事が出た半年後、1970年(S45)7月31日に日照権侵害等損害賠償請求が、東京都、台東区、建設会社に対して提訴されました。しかし、双方誠意を持って、粘り強く話し合いが続けられた結果、8年の歳月を経て、1978年(S53) 9月14日に和解が成立しました。
1970年(S45)2月8日 朝日新聞の記事は、著作権の関係上、掲載しておりません。台東館内に配架中の「台東館設立ヒストリー小冊子」にてご覧いただくことができます。
今では泥棒に布団を盗まれることはありませんが、布団が財産だったこの時代、初代台東館館長の小林福一郎は、「せめて干した布団を・・・という話を聞いたとき、胸がジーンときた。館の利用規定があるので毎月はできないが、せめて2か月に1度くらいは開放したい」と、規定範囲を超えて、館の屋上開放の決断をくだしました。
その後も地元との会合を重ね、日当たりの悪くなった住民のための屋上開放や、冬の雪かき作業など、地元に溶け込むための努力が積み重ねられました。今も浅草の人口密集地における公共施設として、地元との共存の道を歩んでいます。
1970年(S45)2月9日 朝日新聞の記事は、著作権の関係上、掲載しておりません。台東館内に配架中の「台東館設立ヒストリー小冊子」にてご覧いただくことができます。
次回は、台東館創業当時の風景についてお伝えします。掲載は12月24日(木)を予定しています。