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浅草と共に歩んで半世紀 ~日本一の展示会場完成~

2020.11.26

台東館の誕生…浅草と共に


3年の歳月と総工費16億7,700万円を費やした台東館が1969年(S44)11月1日、ついに完成し産声をあげました。


下のはがきは、第6代の東京都知事として2年目の任期に入った美濃部知事による台東館の落成記念として6日間行われた「東京産業展」の案内状です。



初日は、先端工法の柱1本で作る「大スパントラス無柱構造」が採用された展示室に、地元住民の皆様40名も招待され、台東区と合同の盛大な落成式典が挙行されました。(この頃から少しずつカラーフィルムが普及し始めたようです)



この催しが始まりで翌年には利用日数が295日となり、大手町館と共に多くの催事が行われ、台東館は国内見本市・展示会場の”メッカ”と呼ばれ、広く海外まで知られるようになりました。


ちなみにこの年は、東大で安田講堂占拠事件が起こり、アメリカでは宇宙船アポロ11号が人類初の月面有人着陸に成功しました。多くのテレビ局が開局し、街にも多くの電気店ができて、日本のテレビの生産台数が世界1位になった年でもありました。



上の写真は、1971年(S46)頃の様子です。当時も”馬道通り”の交通量は多く、台東館の屋上には多くの百貨店でも上がっていた「アドバルーン」が見られます。江戸時代はこの道を利用して、馬で吉原へむかう多くの遊客で賑わったそうです。またこの通りには、今も戦前から続く老舗が数多く残っています。平成28年度には7年の事業期間を経て無電柱化され、歩道が広く使えるようになりました。現在では、すっきりと見通しの良い美しい街並みの形成がすすめられています。


下の写真は、1981年(S56)から始まった毎年8月に行われる日本で最大のサンバカーニバルコンテストである「浅草サンバカーニバル」(今年は中止)の様子で、台東館がこのパレードのスタート地点となっています。(以下の写真は1983年(S58)頃)


次回は、台東館完成後しばらくして起こった更なる試練についてお伝えします。掲載は12月10日(木)を予定しています。


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