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浅草と共に歩んで半世紀 ~苦難の台東館設立秘話②~

2020.11.12

大いなる試練…地域住民の理解を得て


1966年(S41)10月18日の起工式の後、早速建設工事に移り、下の写真のとおり、館を支える柱の鋼管杭102本の打込みが始まりました。


しかし工事に伴う騒音、振動等に苦情が寄せられ、工事開始1ヶ月後、被害を受けた地域の皆様による「地元被害者対策連合会」が結成されました。工法の変更や工事の一時中止が要請されましたが、幾度も話し合いが持たれ、地域の皆様のご理解と歩み寄りによって工事再開となり、一転して「地元協力連合会」として再スタートしていただいたのです。 


これで工事も急ピッチに進み、高くそびえる外観が現われてきました。しかし、またも難題が持ち上がります。


工事開始から1年半後の1968年(S43)3月、台東館北側住民のご家庭を中心に、テレビの電波障害が発生しました。

「地元協力連合会」からの改善申し入れに対し、東京都は改善措置として、直ちに受信障害防除対策工事を施行しました。


そしてようやく台東館が完成することになります。


※以下の写真の”以前の様子”は、9月10日(木)掲載のコラムの写真でご覧いただけます。

次回は、台東館完成時の様子などについてお伝えします。掲載は11月26日(木)を予定しています。


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