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浅草と共に歩んで半世紀 ~広告宣伝の移り変わり②~

2021.01.28

昭和から令和…台東館の広告の変遷


現在の壁掛け広告はデジタルサイネージが主流となり、数秒から十数秒間表示されるもので、右下の写真は新宿駅西口や同じく4号街路(右下)で掲示した例です。


昭和から平成にかけての時代は、浅草駅には左下のように駅の柱に掲げられ、上野駅、人形町駅などに2段目左下のような電飾看板が設置されていました。





2000年(H12)から公式ウェブサイトの公開により広告看板は順次外されました。


以下の看板をみると、ロゴやデザイン、媒体が洗練されていき、時代の流れを感じます。 

左下側の看板は、裏で蛍光灯が光っているのがわかりますが、右下のものは裏でLEDがムラなく表示させるよう点灯しています。

1980年(S55)大手町館の閉館に伴い、1983年(S58)6月に港区海岸の都有地に港区商工会館との合築により、浜松町館が建設されました。そして、2015年(H27)に閉館となった浜松町館は、2020年(R2)9月14日、新たにオープンいたしました。

次回はいよいよ最終回。昨年オープンした新浜松町館について触れたいと思います。 掲載は2月11日(木)を予定しています。


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